内言と外言

内言と外言

内言と外言の定義

ヴィゴツキー,L.S.は、人間の発話のレベルを内言と外言という2つに分類しました。

内言とは、音声を伴わない内面化された思考のための道具としての言語です。
述語中心の構造をとり、圧縮や省略が多く、単語同士が非文法的に結合しているのが、内言の特徴です。

一方、外言は、通常の音声を伴う、伝達の道具としての社会的言語のことです。
主語中心の構造をとり、文法的に整合性を持つというのが、外言の特徴です。

ヴィゴツキーによれば、発達的には「外言から内言へ」と移行していくとされています。

内言の分化は、幼児期に始まるものの、この分化が不十分な段階では、思考に外的な発声が伴ってしまい、この不完全な内言が幼児期の独り言であると、ヴィゴツキーは考えました。

内言と外言の関連キーワード

  1. ヴィゴツキー,L.S.
  2. ピアジェ,J.
  3. 自己中心性言語

内言と外言の補足ポイント

ピアジェ,J.は内言ができてから外言ができる、つまり、思考ができるようになってから話し始めると考えており、ヴィゴツキーはこれに対立する形をとりました。

ピアジェの言う自己中心性言語は、例えば、幼児の自由遊び場面での独り言のようなものです。

社会的伝達のための言語行為と、反復・反響・独語・集団的独語などといった非社会的言語行為とが混在しているのが特徴で、これは幼児性ゆえに次第に消滅していくものだとピアジェは捉えていました。

しかし、ヴィゴツキーはこれを真っ向から批判し、ピアジェの言う自己中心性言語は、内言と外言の分化が不十分な段階のもので、外言から内言へと進化していく過程であるとしました。

 
ヴィゴツキーはさらに、子どもの発達に関するピアジェの考え方そのものに対しても批判的です。

社会的環境と双方向のコミュニケーションが介在した言語・思考の発達をヴィゴツキーは重視し、自然的かつ自生的に言語・思考が発達していくとしたピアジェの「生物学的な人間観」を批判しました。

もう少し具体的に言うと、子どもの心身や言語の発達は一人だけで自然に進むものではないということを強調しているということです。

社会的環境、例えば、親子関係・子弟や友人との関係の中で、他者との相互作用および大人からの教育を受けることによって初めて実用的な言語能力の発達が進むとヴィゴツキーは主張したのです。

MEMO

内言は、自分の行動を制御・調整する上でも必要になります。

大人からの指示がないとできなかった行動が、自分でできるようになることは、行動制御ができるようになったと考えることができます。

着替えるときに、最初は親から「パジャマを脱いで、洋服を羽織ってから、ボタンを止める」と指示してもらわないとできなかったとしても、徐々に自分で自分に同じ指示を声に出す(自分への外言を用いる)ことで、着替えが一人でできるようになっていきます。

次第に、すべてを言葉にしなくても自分への内言で手順を指示して着替えられるようになっていくのです。