ワトソン,J.B.

ワトソン,J.B.

ワトソン, J.B.について

ワトソン, J.B.は、行動主義を提唱し心理学の一大潮流を作りだしたことで有名です。
彼はアメリカのサウスカロライナ州グリーンヴィルに生まれました。

知的で敬虔な母親に対して、父親は酒飲みの上に浮気がちで、ワトソンが13歳の時に父親は家を出てしまいます。
そうした家庭環境もあり、ワトソンは頭はいいけれど怠惰で、母親にも教師にも反抗し、暴力沙汰も起こしていたと言います。

そんな状態で1894年に大学に入りはしたものの学業には身が入りません。
しかし、その大学での恩師の助けも借り、1900年にシカゴ大学に入学しなおして心理学を学びます。

そして1903年にシカゴ大学で「動物の訓練」という博士論文で心理学の博士号を取得します。
動物心理学でPh.Dを取得したのは彼が始めてと言われます。

その後も機能心理学のエンジェルのもとで学びながら、自分が設立した動物心理学実験室で行動生物学の研究を行い、1908年からジョンズ・ホプキンズ大学で実験心理学・比較心理学の助教授となります。

1912年にキャッテル, R.B.に招かれて行った講演の中で、「行動主義」という言葉を始めて用い、自身の立場を明確にしました。

ワトソン, J.B.の関連キーワード

  1. 行動主義
  2. 刺激と反応
  3. 意識
  4. 環境主義

ワトソン, J.B.の補足ポイント

ワトソンは心理学を自然科学の一分野と位置づけ、行動を通じて人の心理を解明しようとしました。 それまでの心理学の考え方とは異なり、意識といった仮定に基づく概念は研究の対象としないというのが彼の考えです。

また彼は、行動や測定可能な生理的反応は研究対象にすることができると考えました。
刺激と反応の関係を分析し、その仕組みを解明することで、行動の予測と統制をすることを目指したのです。

それまでの心理学では意識の研究が、中心だったので大きな革新を行ったわけですが、ワトソンは若い世代の研究者から強い支持を受けました。
37歳で米国心理学会の会長に選出されたという事実は、彼のカリスマ性を表していると言えるでしょう。

ワトソンはアルバート坊やの実験で、恐怖反応の条件づけについて示し、本能と言われているものも後天的に身についたものだと考えました。
人の行動は遺伝ではなく環境の影響を受けるという環境主義を強く唱えています。

しかし、このように赤ちゃんを実験に用いたり、従来の学説に批判的すぎることなどから、ある時大学に罷免されてしまいます。

その後は知人の紹介で企業に勤めて市場調査の仕事をしたり、営業やコピーライター業務などをしたりして、広告代理店の平社員から副社長にまでなりました。

この期間中には心理学の知識を会社での管理や人事にも活かしていたようです。 その傍らで心理学の研究や著作活動も続け、1958年に80歳で波乱万丈の生涯を終えました。

MEMO

編集中