フロイト,S.

フロイト,S.

フロイト,S.について

精神分析の創始者であるジークムント・フロイト(フロイト,S.)は、モラビアのフライベルクという都市で産まれ、その後4歳でウィーンに移り、それから最晩年までずっとウィーンで暮らしていました。

フロイトはウィーン大学医学部を出て、その後も研究に没頭し、当初は神経学の分野で目覚ましい成果を挙げていました。

しかし、ユダヤ人であるフロイトが大学教授になれる見込みは薄く、また結婚を控えていたという事情もあり、臨床医として生計を立てる道を選びます。

3年間ほど病院で神経病医として勤務した後、パリのシャルコー,J.M.のもとで学びました。

シャルコーは、催眠を用いてヒステリー患者の治療を行っていた人物です。
シャルコーのもとで学んだことは、フロイトのヒステリー患者の研究に少なからず影響を及ぼしたと言えるでしょう。
その後、フロイトはウィーンに戻り1886年に開業します。

フロイト,S.の関連キーワード

  1. ヒステリー
  2. 無意識
  3. エディプス・コンプレックス
  4. 局所論
  5. 構造論

フロイト,S.の補足ポイント

自らの臨床経験をもとにヒステリーに関する理論を構築し、1895年には『ヒステリー研究』を著しました。
その翌年の1896年に、自ら開発した治療法を精神分析と名づけました。

フロイト自身も神経症に悩まされた時期があり、親友のフリース,W.との文通を通して自己分析を行い、無意識についての検討を行い、理論化していきました。

この自己分析の中でエディプス・コンプレックスなどの重要な概念も着想されます。

無意識という概念自体はフロイト以前にも存在しましたが、無意識を徹底的に研究し、体系的な理論を構築したのはフロイトの功績です。

彼は、心の中に意識、前意識、無意識が存在すると考える局所論や、自我、超自我、エスという部分があるとする構造論などを提唱しました。

フロイトは1902年以降、自宅に仲間を集めて精神分析の勉強会をはじめました。

その会に参加していた弟子の中にはユング,C.G.やアドラー,A.がおり、彼らはフロイトの愛弟子となっていましたが、後にはフロイトの元を離れ、独自の理論を構築していきます。

フロイトは精神分析を創始したという点だけではなく、多くの弟子を育てて精神分析や精神療法の発展に寄与しました。

フロイトのもとを去った弟子も多くいましたが、師弟関係の中から批判的研究が生じたことで、結果的に他の多くの精神療法が生じることにつながったという点でもフロイトが精神医学・心理学に及ぼした影響は大きいと言えます。

晩年はナチスがウィーンに侵攻してきたためロンドンに亡命し、1939年にその生涯を終えましたが、亡くなるまでずっと精神分析の研究に取り組んでいました。

MEMO

編集中